ごめんね
謝ることが苦手なのは、他者との距離のせいなのか、それとも自分自身の中に分裂があるからなのか?
僕は謝ることが苦手だ。 関係が近くなればなるほど、素直になれない自分がいる。 赤の他人だった妻には、かつて素直に謝ることができた。 同じ時間を過ごし、同じ空間に身を置くことで、 我々の距離は確かに近づいていった。 赤の他人だった妻が、家族という存在に変わっていく中で、 その距離は縮まり続けているはずなのに、 同時に、別の方向へ広がっているように感じられた。 それでも、特別な意図を持つことなく、 僕はただ妻の写真を撮り続けていた。 しかし、撮り続け、見返すうちに気づいたのは、 そこに写っていたのは妻との距離ではなく、 謝りたいと願う自分と、それでも謝ることのできない自分、 そのあいだに生まれた距離だった。 距離は他者とのあいだに生まれるものではなく、 ひとつの身体の内部に生じていた。 赤の他人から家族へと変わる過程で、 他者との距離ではなく、 自己が一致していないという事実を、初めて明確に知覚した。 「ごめんね」という言葉は、 関係を修復するための言葉である以前に、 その距離の存在を認識したとき、初めて現れる言葉なのかもしれない。 この写真は、妻との関係を記録したものではない。 関係の中で初めて露呈した、 理想の自己と現実の自己のあいだにある距離を、 視覚として認識した瞬間の記録である。
展示・出版歴
- Exhibition — EIDRIFTERS